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介護生活

突然の介護生活!父がコロナに罹患し緊急入院

初めまして、現在50代半ばのシングルマザーです。
長女と長男はすでに社会人で家を出ており、現在は次女の末娘と二人で生活をしています。

このブログでは、突然始まった親の介護生活や50代シングルの日常を綴っています。
いつかは、、、と頭の中の隅においていた親の介護。
今年の夏までは、80代半ばの両親は思いのほか二人とも元気に暮らしており、介護の現実味もなく日々を過ごしていた中に、突然訪れました。
そんな中、介護の実態や専門用語の知識不足で右往左往する日々。。
ネットで調べてみても、難しい言葉が並びよく判らない。。

これから、いつ終わるか判らない日々を書き留めておこうと思っています。

救急搬送

こちらの記事は、入院手続きから延命措置の有無を問われた状況までを記載しています。

救急車で搬送

2023年7月の夏初め、実家の両親より高熱だから病院へ連れて行って欲しいと連絡が入りました。
実家は、家から車で40分程の場所にあるので直ぐには駆けつけられない為、近くの掛かりつけの病院へ連絡すると、救急車を呼んだ方が良いと指示をうけ呼ぶことにしました。
私が急いで準備をしている中、救急隊員の方から連絡が入り、コロナに感染している可能性があるので、同居している家族は一緒に救急車に同乗することは不可能なので、娘である私が搬送先の病院へ向かうようにと連絡をうけました。

ほんの数日前に、父の誕生日で私の娘たち(孫)と87歳の誕生日祝いであったばかりの元気な父が突然のコロナ感染で緊急搬送。
ただ、この時もまだ高齢者だから直ぐに入院になったんだと、軽く考えていました。

入院手続き

病院につき暫く待機していると、主治医の先生から説明がありました。
父の容態は、高熱でかなりの脱水症状が見られ、検査をしたところ腎臓および肝臓機能が低下しており、通常の数値の何百倍にもなっている状態だと説明を受けました。
そして、筋肉が破壊され右側が動かせない状態にあり、コロナを完治したとしても、高齢だけに恐らく寝たきりの状態になるでしょう。告げられました。

延命措置の有無

症状を聞くのが精一杯で、余り状況を呑み込めない私に、延命措置の有無の話が出ました。
私は「え?」っという感じで、頭が追い付かない状態でした。
そこまで状態がひどいという事と、コロナに感染しているので、父に面会することも出来ない状態のまま、早々に家族と話をし延命措置をどうするか決めてほしいと。。。
延命措置を選択したとしても、エクモ装置が当医院になく別の施設に搬送される事になるが、高齢者は受け入れ事態が厳しいかもしれないという現実を伝えられました。

これから10日間は、完全隔離になるという事を病院から説明を受けました。
私は必要書類を受け取った後、一端実家へ戻り父の兄弟や、入院したことすら知らなかった
兄夫婦にも現状を報告し、家族で話合いをしました。
そして、高齢である父の体力を考えて延命措置は取らないという決断をしました。
ほんの数日前まで、元気で過ごしていた父がコロナに感染し、2日ほどであっという間に
容態が急変するなんて、とても恐ろしく感じました。


闘病期間

10日間の隔離期間中は、家族は一切会うことも出来ないまま時間は過ぎていきました。
父の状態は時々、経過報告をしてくださる主治医の先生からの電話を待つのみです。
3日間ほどは、状態も一喜一憂して過ごす日々でした。父の弟、妹達も心配していたので
一番若い妹の叔母にラインで状況を知らせ、ほかの兄弟へは電話で報告を毎日しました。

この一週間で、私のスマホの通話料は1万円超えており💦慌てて制限なしのプランへ変更するも適用になるのは、来月からとのこと。。。。
ラインが出来る若い叔母とは、ラインの使用で会話が出来るのでよかったのですが、ほかの叔父、叔母は当然ラインなど使えるわけもなく、ひたすら電話で報告。

面会が出来ないのは判っていても、病院へ着替えを届けることしかできない日々は、家族にとって、とても長い長い10日間でした。
夜中も、いつ電話が掛かってくるかもしれないと思うと、深く眠ることも出来ずにすごしました。

因みにワクチンは両親ともに6回接種済みの状態でした。

リハビリ生活

長い長い10日間がようやく過ぎ、父がコロナを克服し、一般病棟へ移ることになりました。

病院から呼び出し

隔離病棟から一般病棟へ移るということと、これまでの経過報告で病院から呼び出しがありました。
兄と二人病院へ出向き、主治医の先生と介護支援の担当者から経過報告がありました。
病状は一端落ち着いているが、ベッドから立ち上がることは出来ないと告げられました。
そして、今回このように急変してしまった事、高齢者二人だけの状態で監視が行き届いていなかったことを、主治医の先生より厳しくお叱りを受けました。

父と10日間ぶりに再会

今後の入院生活について説明を受けている途中で、父がベッドに乗ったままの状態で運ばれてきました。( ;∀;)
父は、少しやつれていて会った途端に涙が溢れていました。(きっと一人で不安だったのでしょう)
10日間ぶりに父を見ることが出来、ベッドに寝たままではありましたが、言葉もゆっくりと話す姿に安堵しました。
涙を流す父がいつもより小さく見えました。。
これまでは、父親はいつまでも頼りになる強い父であったと記憶していたのに、いつの間にか父は小さくなっていたことに気づかされた瞬間でした。

涙を流しながら父は、開口一番に「心配をかけてすまなかった」そして、「お母さんは大丈夫か?」でした。☺
そこは、いつもの父でした。いつも、自分の事より先に母を気遣い、他人を優先してきた父です。

このコロナ禍の背景で、病院での面会も一度に2人までと制限されていて、この時は兄と私だけ先に面会していましたが、直ぐに兄が母と入れ替わることで、母と父が面会することができました。

二人は再会すると同時に、お互いの事ばかり心配していたと二人で泣きながらの再会となりました。
私は、この二人が喧嘩をしたところを小さい頃に一度しか見たことがありません。

父のリハビリ開始

ようやく、一般病棟へ移ることが出来た父でしたが、まだ自分でベッドへ座ることが出来ません。看護師さんの手を借りながら、食事やトイレの介助をうけているようです。

面会も、コロナ禍の事情により土日は出来なくなっており、平日の午後から4時間だけに限られています。
私の家から、病院までは車で1時間30分ほど掛かります。平日に休みをとって面会時間をつくるにも、たった15分と限られています。早く、このような感染がなくなり面会も楽になることを願います。

父は、ベッドから起きて、手を添えて貰ってベッドの脇へ立つ訓練から始めたようです。
当初は、寝たきりになるだろうと告げられていたことを考えると、凄い回復力です。
理学療法士の先生が、毎日毎日リハビリを行ってくださるようで、父も体力が落ちていた中でしたが、弱音を吐くこともなく日々頑張っている様でした。

母と同居

一人残された母の生活

両親は、家の敷地内の別棟に住む兄夫婦とずっと暮らしていました。
今では、兄夫婦の子供たちも皆大きくなり独立し、大人4人での生活でした。
居室は別棟になってはいるものの、台所とお風呂は母屋に住む両親と同じ空間で暮らしています。

しかし、同居生活はやはり色々と問題があります。
兄夫婦とは数年前から、あまり口も聞かない状態になっており、そのため私が時々顔を出しては、両親を連れてドライブなどに連れ出していました。
そんな折も、父は何も言わないのですが、母は兄夫婦の愚痴をこぼしてばかり。。
私が、その愚痴を聞いて吐き出させることも必要だと思って受け止めていました。

そんな事情から、もし父が居なくなったりしたときは、母はここには住めないだろうと感じていました。

それも、今回の父の入院をきっかけに大きく展開していきます。
母は、父が戻ってくるまではと実家で兄夫婦と3人で生活しておりましたが、実質母屋に1人で生活です。父がコロナになったことがショック過ぎて、母も気持ちが沈み、食事が出来ずにおりました。元々やせ形で体重も35キロほどの母が、30キロにまでなりフラフラ状態になっていました。
その間、何度も私の家へ来るように言ってみるものの、「お父さんがくるまでは・・・」と頑張る母。。でも、それは長くは続かず限界が見えてきました。
病院へつれて行くと、栄養失調になりかけており、やっと私の家へ来ることを納得した母でした。

おばあちゃんと同居生活

私の家へ母を連れてきました。
我が家には、末娘と一匹のわんこがいます。
ちなみに、母は動物が嫌いで触ることができません(´;ω;`)ウゥゥ

どうなるかと様子をみていましたが、具合が悪い母がリビングで横になっていると
心配した、ワンコがそっと母に寄り添い近くでずっと見守り続けていました。

犬を触ることが出来ない母を、大丈夫かな?と気にはなりましたが、ワンコも家族の一員なのでこの生活に慣れてもらうしかないと思い黙っていたところ、日に日に元気になる母について回っているワンコを少しずつ受け入れ、今では自分のベッドに「おいで♪」と呼び寄せるほどになっています。(笑)

そして、これまで老人と生活したことがない末娘も、快く受け入れてくれ、母に家の説明やら自分の部屋を案内してコミュニケーションをとってくれています。

きっと、お互いに沢山気を遣いながら生活をしているんだろうなと思っています。

娘とワンコに感謝感謝。