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介護生活

介護認定申請と退院生活の選択・・そして家族の分裂

こんにちは。julyです。

このブログでは、突然始まった親の介護生活や50代シングルの日常を綴っています。
いつかは、、、と頭の中ではぼんやりと考えてはいましたが、80代半ばの両親は思いのほか
二人とも元気に暮らしており、介護の現実味もなく日々を過ごしていた中に、突然訪れました。

介護認定申請

こちらの記事は、介護認定申請の内容を綴っています。

居住区での介護認定申請

父は、入院先の病院で毎日リハビリを続けています。

理学療法士の先生からの見識によると、父はこのままリハビリを頑張って続けることで
立って杖をつかって歩けるようになるかもしれないとのこと。☆彡
日々、状況が良くなっています。

ここで、病院から介護認定申請をした方がよいとのアドバイスを受けました。
私は、これまで介護の事が全く判らずにおりました。
病院からの説明によると、病院はリハビリ施設ではないので傷病がない場合は、長期に渡る入院が出来ないらしく、リハビリを開始してから2か月間の間に退院もしくは、別の施設を探す必要があると説明を受けました。
そのために、介護認定申請を先に行う必要があるとのこと。

余りよく判らないまま、市町村の役所へ出向き役所内の【包括支援センター】という部署へいき、介護認定の申請を行いました。申請窓口で現在の状況を伝え、その1週間ほど後に、市町村の役所から担当者が、現状把握のために入院先の病院へ訪問し、本人(父)と面会が行われました。

介護認定審査には、市町村で行われる介護認定審査会というもので有識者が集まり介護認定のレベルを決定するものです。その決定が下されるまでには1か月ほど掛かりました。

結果から話すと、市町村の担当者と本人との面会が行われてから決定が下るまでの間に、かなりの時間があるので、その間に本人の頑張り具合では、面会時よりリハビリの成果次第では、介護の容態がかなり違ってくると実感しています。
実際、父の面会が行われたときは、病室に車いすが必要な状態でしたが、その後かなり回復し車椅子は必要なく、杖を用いて歩くことが出来るようになっていました。

介護施設の種類

介護認定申請を行い待機中の間、次は退院後の生活をどこで行うか?という質問が病院から問われました。

入院時は、もしかしたら命さえ危ないかも知れないという状況から出発した今回の入院生活は、家族の感情も右往左往されました。
最初は、当然誰もが病院からは暫く帰れない状態だろうと覚悟していたので、自宅に戻るという考えが徐々に、兄夫婦から遠のいていきました。。
今では、母も私の家で過ごす毎日で、兄夫婦には両親が自宅へ戻るという事が考えられなくなっていたのです。そんな家庭の事情もありつつ、病院とのやり取りが始まります。

介護支援の看護師さんに相談し、今の状態で自宅へ戻るには自宅をリフォームする必要があるので、もう少し回復するまでにリハビリを兼ねた施設を探すことになりました。これは、父の回復がどこまで伸びるかまだ分からない状態でしたが、リハビリ施設も退院が決まってからでは、直ぐに入れるようなものではなく、事前に探しておかなければならないという事でした。
介護認定申請をしつつ同時並行で、どの施設に空きがあるのか事前に把握しておく必要がありました。

正直、この時点でも施設の種類を全く私は理解していませんでした。

介護施設の種類には、
・介護付き有料老人ホーム
・住宅型有料老人ホーム
・サービス付き高齢者向け住宅
・グループホーム
・ケアハウス
・特別養護老人ホーム
・老後老人保健施設
・介護医療院(介護療養型医療施設)

こんなに沢山あるのです。
私は、名前が違うだけの同じような施設だと思っていました。

退院後の選択

病院から意見

介護認定の結果次第で、利用できる施設やサービス内容が変わることを、ようやく少し理解してきたころ、病院から連絡がありました。

担当主治医の先生からでした。突然の連絡に父に何かあったのかと心配して電話に出たところ、父をなぜ自宅へ戻せないのか?という疑問を問いかけられました。
詳しい内容によると、最近の父は早く自宅へ帰りたくて、毎日毎日リハビリを弱音を吐くことなく頑張っていたおかげで、手すりに捕まって歩行ができるまでに回復したようでした。
その状況をみていた看護師が、家族が次の施設を探しているとの情報を聞きつけ、父の頑張りを無視した考え方だとの意見でした。

私は、介護支援の方と相談しながら、施設の空き状況を同時並行で探さないといけないと思って動いていた中に、突然の病院からの意見に困惑してしまいました。

介護支援の職員と相談しながら進めて頂けに、何か私が父の努力を無視しているかのような問いかけにショックを受けましたが、とりあえず病院からの意見で、一度父のリハビリの様子を兄と私とで確認してほしいと言われ、日程が調整されました。

父の涙

病院側は、父の事を思い親身に動いてくださった意見ではありましたが、私は何とも言えない気持ちになっていました。

父のリハビリ見学日程を兄夫婦へ伝え、病院へいきました。
そこで、父がリハビリする姿を始めて目にしました。
少し前まで、ベッドで寝ていた状態だった父が、病院の廊下の手すりに捕まりながら、足を一歩一歩と一生懸命に動かして、私達に見せてくれました。( ;∀;)
びっくりするような回復と同時に、また父が小さく見えて切なくなりました。

リハビリの様子を見た後に、父を交えて話し合いが行われました。
内容は、家に帰ることだけしか考えて居なかった父に、病院から退院した後に、もう一つリハビリ施設を経由して、自宅へ帰る必要があるかもしれないという事と、今の段階では自宅をリフォームしないと危険があるということ。
そして、父がここまで努力して回復している現状の把握。

黙って聞いていた父は、このまま退院して自宅へ帰ることが出来ないかもしれないという現状に、かなりショックを受け、涙をポロポロと流していました。
この時から、すこしずつ父も家庭の事情を把握しかけていたと思います。


介護施設の現状

施設の見学


そして、そのまま時間は過ぎ、私は介護認定が下りるのを待ちながら、病院から紹介されたリハビリを兼ね備えた4つの施設を、車で場所の確認と外観からの様子を確かめるために一日かけて母と訪ねました。
ネットで調べたり知人に訪ねたりしながら、紹介された中で一番良いだろうと思う施設を紹介して頂き、見学へ行きました。

見学に訪れた施設は、親戚の叔父もデイサービスで利用していたという従妹のおすすめでもある施設でした。小高い山の上に病院と併設して建つ綺麗な施設で、周りは自然豊かでとても良い雰囲気の場所にありました。

出迎えてくださった施設職員の方も、とても優しい雰囲気で親身になって相談にのってくださりました。
施設の内容や金額等の説明を頂いたあとに、実際に入居されている方々のフロアを見学できるとのことで、上の階へ移動することになりました。

途中、デイサービスで来られている方のお部屋を通ると、なんだか楽しそうな雰囲気がうかがえて少し安心しました。

そして、実際の入居フロアの階へエレベーターで上がり扉が開いた瞬間に、私はショックを受けました。父のような高齢者ではなく、もっと介護が必要な方ばかりが大きなフロアで何も話すことなく、ただ皆さん座っておられるだけの様子でした。。
私がこのような施設を訪問することが今までになく、これが現実の介護の現場だとしりました。

雰囲気も施設も、評判もとてもよい施設だったので問題はないのですが、今の父の様子をみると意識もしっかりしていて、会話も普通にできる状態で、もしかしたら杖をついて歩けるようになるかもしれない父を入所させることへの抵抗が生まれました。

そして、

施設からの帰りは、父をまだ預けるには早すぎるとの思いへ、私の心は変化していきました。

父が歩いた

父は、益々退院に向けてリハビリを頑張っています。

施設見学のあと、母と二人で毎晩のように話し合いをしました。
これから先、何が一番いいのか。どうしたら父も母も残り少ない人生を楽しく過ごすことができるのだろうと、眠れないほどに沢山考えました。

兄夫婦と両親の間には、数年前から深い溝が出来ていました。それは年々ひどくなる一方で最近は、口を聞くこともなく、一緒の家に居ながらにして、お互い別々の家庭のような状況下にありました。そのこともあり、母が父がコロナに感染した時に兄夫婦に助けを求めることが出来ず、たった一人で父の看病をしていたのでした。

そのような状況下において、ここで父と母がまた家に帰ることで上手く行くのか、父の介護を母一人で背負ってしまうのではないか、しかし父は我が家である自分の家に帰ることが一番の望みでもあるので、私は毎晩何がベストなのか考え続けました。

そうした中、また父のリハビリを見学したところ、父は驚くことに杖をついてしっかりとした足取りで、病院の廊下を歩いていました。先生に聞くと、杖を持たなくても短時間であれば歩行も出来るようになってきたとの嬉しい報告をうけました。

きっと父は、毎日毎日リハビリを頑張って努力したんだろうと思います。


要介護の親をもつ家族

家族の分裂

兄夫婦へ父の現状の報告を兼ねて、前回施設を見学に行った際の様子を伝えました。
父もすっかり歩けるようになってきたことと、自宅へ帰っても自分の事は自分で出来るような状態になる可能性が高い。そして、見学した施設へ入所させるには、まだ早すぎると感じたことを素直に話しました。
そこで、父を自宅へ帰らせる方向で病院と調整を進めたいと告げました。

両親と兄夫婦がうまくいっていないことは知っていましたが、元気になって歩いてみせている父がわかれば、きっと喜んでくれると思っていましたが、その思いは通じませんでした。

二人は、父の介護には一切かかわりたくないと。。。。
母が一人で介護をすることが条件なら自宅へ帰ってもいいと。

正直、びっくりしました。本当の親子である息子が、両親が家へ帰ることを拒んでいました。これまでの同居生活の中で色々とあったのでしょう。。
しかし、両親もそれなりに気を遣い、孫を誰よりも可愛がり兄夫婦の生活を支えてきていたのは確かです。それを、忘れてしまったかのような今しか見ていない兄夫婦に呆れてしまいました。
もう、何を言っても一緒だと感じ、私の気持ちも少しずつ固まっていきました。

父への宣告

暫くは、私も気持ちの整理をする時間が必要でしたが、母としっかりと向き合い、これからどうしていきたいか確認し、母と父を私が引き取るということで父へ話をしようと二人で決めました。

週に一度の面会時、母と揃って父の病室へ向かいました。
面会時間は15分と限られています。父にとっては病院生活の中で家族が見舞いに来てくれることが唯一の楽しみでずっと待ちわびていたことと思います。

しかし、そこで私がとった行動は酷い宣告でした。
父には、しっかり家には帰れないと告げました。父はショックを受けたとは思いますが、想像していたことと反して、父はすんなりと「わかった。どこかの施設へいれてくれ」とだけ優しく返事をしました。少しずつ感じ取っていたのかもしれません。
きっと、この日を境に父はリハビリさえもやる気を失せる気持ちを振り払いながら、退院まで乗り切ったことと思います。

娘としては、とても酷い現状を伝えたとおもいますが、父を施設へ入所させることはまだできない。そして母一人に父を介護させるには、余りにも二人とも高齢者で出来ない。それだけでした。



介護の始まりはこちらをご覧ください。

https://www.single-care.com/001-2/